ジュディ・フォークマニスさんインタビュー
今年で30周年を迎えるフォークマニス社。フォークマニスパペットの生みの親であるジュディさんにお話を聞ける機会がありましたので、ここにお届けします。フォークマニス社はサンフランシスコ市に隣接するエメリービル市にあります。社屋は煉瓦造りの倉庫街の一角にありますが、コンピューターアニメの制作で有名なピクサー社が数年前に道路を挟んだ向かい側に移転してきてから、周囲にアパートやチェーン店が建つようになり、カリフォルニアのイメージ通りの街並に変わっていました。
現在はご主人が経営全般を担当し、ジュディさんは主に製品のデザインを担当されています。フォークマニス社員で何か困ったことがあると必ずジュディさんのところに相談に行くというように、社員にとっても「明るくて気さくなお母さん」という存在。お話ししていても溌剌としていながらどこか無邪気で、懐かしい人に会ったかのようにホッとさせられる、チャーミングな人柄の女性です。
Q.今のお立場は?
A.チーフデザイナーとしてデザイナーのとりまとめをしています。例えば、魔女のパペット(注1)を例に挙げてみましょう。魔女を担当したデザイナーは、はじめやさしい顔の魔女を試作してきました。口元には笑みさえ浮かべていたような魔女でした。だから、その女性デザイナーに、「魔女は醜い顔をしていて、笑ってはいないものよ」と言って、自分の顔の眉間にしわを寄せて、険しい顔をして見せました。彼女はその表情をなぞるようにして、あのデザインができました。このようにして、各デザイナーと一緒に新作を作り上げているのです。
Q.パペットを作り始めたきっかけを教えてください。
A.第一に子どもがいたのがきっかけです。子どもがいなかったら、パペットは作っていませんでした。最初にパペットを作ったのは、長男が3才の頃でした。子どもが通っていた保育園は、保護者もプログラムにかかわりながら支え合う運営手法をとっていて、ある時保護者で人形劇を上演することになったのでした。保護者は、宣伝をする係、人形劇を演じる係、人形を作る係に分かれて役割を担ったのですが、私は宣伝係も、劇を演じる係も好まなかったので、作る係を選んだのでした。
もともと何かを作ることは好きだったのです。子どもは1996年生まれで、保育園で人形劇のプログラムがあったのが1996~1970年のことでした。ちょうどその頃、「Women's
Day」という母親向けの女性誌がアメリカで発行されていて、その雑誌の中でたまたまパペットの型紙が掲載されていたので、それをもとにパペットを作ったのです。
自分では気づいていなかったのですが、パペットを作るのが上手だったようで、生まれつきパペットを作る才能があったのかもしれません。手作りのパペットはとても人気があり、あるお母さんから電話がかかってきて、買いたいので譲ってくれと言われました。それで何体か作ってみて、実際に人形劇でも使われたのですが、やがてパペットを作った母親として知られるようになり、お母さん方が買いたいと電話をしてくるようになったのです。最初は自宅で作っていたので、家にまで買いに訪ねてくる人が来るようになって、ちょっとした収入を得るようになりました。主人が大学で学んでいた身だったので、生計の足しになったのでした。また、お店にも預かってもらうようになりました。売れたら手数料を引いた分の売り上げをもらえて、売れなかったら品物を引き上げることになっていましたが、預けた分はすべて売れてしまったので、持ち帰ることはありませんでした。
主人は、1972年に生化学の専攻で博士課程を修了し、その後さらに研究活動に進むためにマサチューセッツ州からカリフォルニア州のバークレーに移り住んできました。平日は育児があったので、主人が休みの土日に限ってカリフォルニア州立大学バークレー校の前のテレグラフ通り(注2)で手作りのパペットを売っていました(写真)。
その頃は主人よりも自分の方が収入が多いほどでした。主人も職を探していましたが、自分の方が収入が良かったので、パペットを専業にしようと主人から提案されました。自分は最初は乗り気ではありませんでした。なぜなら、主人には生化学者として教職の道に進んでもらいたと望んでいたからです。でも、主人は「パペットをビジネスにしよう」と言って聞かなかったので、1975年のときに一年だけという約束で始めました。主人とはその約束の契約書を交わしてサインもしました。今はもう、その契約書は見つけられないのですが、・・・。
トレードショーに出展してみると注文が入ったので、一生懸命パペットを作りました。一人で作っていたので、注文量が増えるにつれて制作が手一杯になってきました。パペットを縫うのに忙しくなり、育児にも支障が出るようになったのでした。1981年以降は、韓国で制作してもらうようになりました。今でもその韓国の人たちに制作を依頼し、中国で生産してもらっています。
ビジネスを始めるにあたり、ビーバーやアライグマ、スカンクなど、オリジナルのデザインのパペットを制作するようになりました。それらのパペットは生きているかのような生き生きとした表情が出せるもので、とても評判が良かったのです。この頃のパペットは、今と同じように全身タイプで、前脚と後ろ脚があるデザインでした。最初の頃は、クマの鼻がリアルに見えるように作るのにも一週間かかるほど苦労しました。
Q.リアルなデザインのパペットが多いですが、リアルさにこだわる理由は何ですか?
A.第一に動物が好きだからということです。これまでに北米の動物はほとんどパペットにしてしまったので、最近はドラゴンなどの空想上の生き物を作るようになってきています。
カタログは1978年に初めて作りました。すべてオリジナルのデザインで、ニューヨークのトイフェアーにも出展していました。初期の頃のカタログに掲載されていた種類はとても限られたものでしたが、今では常時200種類以上にもなっていて感慨深いものがあります。カメのパペットは1976年にアメリカの特許を取得していますが、今でもオヤガメのデザインに受け継がれています。
Q.貴社がこだわっている点、他社との違いは何ですか?
A.詰め物をしたパペットを初めて作ったということ。以前は単純なグローブタイプのパペットでした。その後、フォークマニスパペットと同じようなデザインのパペットが、他メーカーによって作られるようになってきたのです。でも、フォークマニスパペットには魂が入っていると自負しています。常により良いものを求めて、デザイン的にも機能的にも優れたものを他に先んじて制作してきました。
体に詰め物を入れるというのは、自分で考えたことで、最初は苦労しました。詰め物があると、パペットとしてだけでなく、ぬいぐるみとしても遊べるという良さがあります。
Q.フォークマニスパペットの制作はどのように進められるのですか?
A.今年リリースされたクジャクの例では、①まず、クジャクを作ることが決まったら、どの部分を動かせるようにするかを決めます。②デザイナー自身が動物園に行って動物の動きを観察し、スケッチをしたり、図鑑やネットでクジャクの写真をたくさん調べて、クジャクのパペットにふさわしい生地を探します。③生地メーカーに問い合わせて生地を調達し、デザインを描いて、型紙に起こして試作をするという行程をとります。
Q.特にお気に入りのパペットがあれば教えてください。
A.私はシープドッグが好きです。動きも良くて、とても美しいパペットだと思います。もう、10年以上も生産し続けているパペットです。
Q.様々な玩具がある中でもパペットが愛される理由やその魅力は何でしょうか?
A.最近は玩具もデジタル化でコンピューターチップが組み込まれるようになってきました。パペットはそういう点では伝統的な玩具になりますが、話しかけたり、抱きしめたり、ときには一緒に眠ったりできる、愛せる存在です。子どもたちにとって、ベストフレンドになれる存在だから魅力があるのだと思います。
パペットは、食べ物でたとえてみれば牛乳や穀物のようなもので、世の中の流行り廃りがあったとしても流行に左右されない食物で、栄養の源として人間に欠かせないものです。パペットも同じようになくならない存在だと言えると思います。
Q.今も心に残るエピソードがあったらご紹介ください。
A.あるトレードショーで男性に感謝されたことがありました。その人の子どもは自閉的傾向があって、生まれてから話を交わしたことがなかったと言います。ところが、その男の子がパペットを手にしたとたん、生まれて初めてお話しをしたんだそうです。フォークマニスパペットは、多くのセラピストや児童心理学者によって使われていて、問題を抱える子どもたちばかりでなく、特に問題のない子どもたちに対しても使っています。それはパペットで話しかけることができるからです。
その当時そのような使い方があるとは考えてはいませんでしたが、一言もしゃべったことのない子が、私が作ったクマを見て話をしたということを聞いて、心臓が止まるくらいの驚きと感動を覚えたことを思い出します。
Q.パペットと本の良い関係。
A.パペットと本はとても良い関係にあると思います。子どもたちが読みを習おうとしているときに、なかなかうまく読めなかったとしても、パペットと一緒にやれば学習意欲が湧いてくるのだと思います。自分が初めてパペットを作ったときは、そんな効果があるとは考えてもみませんでした。でも、長い経験の中で、アメリカではそういう効果があると評価されています。
また、アメリカでは、歯科医や小児科医がフォークマニスパペットを使っています。例えば、小児科のお医者さんは、パペットの足に絆創膏や包帯を巻いて子どもに見せて、動物たちも怪我をすることを教えながら学習の役に立てているのです。
Q.日本のフォークマニスパペット愛好家の方々へ、そしてまだフォークマニスパペットを知らない人たちにメッセージをお願いします。
A.どうぞ、話しかけて、抱きしめて、かわいがってあげてください。毛足の長いものは、目の粗い櫛でとかしてあげてください。フォークマニスパペットは愛されるのが大好きです。
まだ、フォークマニスパペットを手にしたことのない方には、とてもすばらしい経験を逃していると言いたい。ぜひお気に入りのパペットを手にして、話しかけてみてほしいと願っています。
以上
(2006年4月、カリフォルニア州エメリービルにて)
(注1)日本でも好評を得ていましたが、2005年末に廃盤となりました。
(注2)当時からテレグラフ通りは今で言うフリーマーケット通りとして有名。ただし、販売するには許可証を取得する必要があった。
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